tag:blogger.com,1999:blog-37672321744305717902024-03-13T20:25:25.264+09:00ケニアでの研修と生活の記録Unknownnoreply@blogger.comBlogger50125tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-71926921403502377162016-11-22T14:43:00.001+09:002016-11-22T14:43:49.557+09:00まとめ暑すぎる日本の夏から逃避するようにケニアに到着したのが8月21日でした。<br />
この3か月、自発的に始めたわけではないブログを、意外とマメに、そして楽しく更新できたと自分でも感心しています。<br />
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<br />
ざっくり感想を書くと、<br />
<br />
人々は生々しく、損得を意識しながら人間関係を構築しているんだな、と思いました。<br />
<br />
人類学者の方が、「セルプヘルプ世界は、けっしてきれいで調和的なものではない。それは善意と狡知が交錯する闘いの場」(松田1999: 50頁)と表現していました。<br />
<br />
研修を通して、ADEOスタッフも、ムソマの人たちも、私自身も、それぞれの損得や思惑を持って、打算的かつ合理的であろうとする態度が印象に残っています。<br />
<br />
だけど同時に、助け合おう!今より豊かになろう!という自助グループや、NGO、政府関係者の強い気持ちにも触れたような気がします。「私たちの国は成長中だ」と語る彼らは、具体的に考えて、具体的に行動している。<br />
<br />
<br />
私がもともとケニアに興味を持ったのは、この人たちと何かできるようになりたいな~という憧れからだったので、協同でプロポーザルを作成できたのは良かった。これまでの渡航では、何かを教えてもらう、ことはあっても、一緒に作る、といった双方向の作業はしてこなかったんじゃないか。この双方向の作業にあったからこそ、互いの損得を意識した。<br />
<br />
<br />
そんなこんなで今日で更新は最後です。<br />
くだらないことばっかり書いたと思いますが、こっちで感じたことを率直に書きました。<br />
<br />
かといって、ブログは人に読まれることを前提に書いているので、ここに書いた内容は、しょせんは建前かもしれません。曲がりなりにも社会的立場や羞恥心があり、腹黒い本音を全てさらけだすわけにはいかないのです。ともあれ、嘘は書いていませんので。本音のなかでも綺麗なところを描いた感じでしょうか。<br />
<br />
<br />
ケニアにはまた今後も通いますが、そこで感じたことや考えたことは、また別の方法や媒体で発信していけたらと思います。早速に、今週末は学会発表です( ^ω^)・・・(準備できてない)。<br />
<br />
<br />
今日まで、この読みにくいブログを読んでくださった方々、お付き合いいただき誠にありがとうございました。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-9868957084386684742016-11-19T16:00:00.000+09:002016-11-19T16:00:16.200+09:00平等性と公平性今日は、ちょっと長くなりますが、平等性と公平性について真面目なこと書きます。<br />
<br />
平等性(equality)と公平性(equity)は似ているようで全く違うんですね。<br />
開発学の分野でも議論途上の概念なので、明確な定義はまだありません。<br />
<br />
<br />
あくまで仮ですが、配り方にのみ焦点を当て、その違いを書いておくと、<br />
平等性というのは、同じものを同じだけ「配分」すること。<br />
公平性というのは、各人のニーズに応じて「分配」すること。<br />
<br />
<br />
ちょっとややこしいですが、たとえば、ある家族でリンゴを食べるときに、<br />
等分に切り分けて、全員が同じ量を食べられるように配慮するのが平等性。<br />
それに対し、リンゴが大好きな弟には3ピース、ごはん食べ過ぎてお腹いっぱいのお母さんには1ピース、硬いものが食べられないおじいちゃんにはすりおろしリンゴ、などと配慮するのが公平性。<br />
<br />
つまり、不平等と不公平は時に矛盾するんですね。ひとりひとりの受け取る資源が異なる場合、それは「不平等」であるけれど、「不公平」かどうかは、また別の問題だということです。<br />
<br />
<br />
で、プロポーザルを書くにあたっても、結構このことで衝突します。というのも、これまでADEOからの支援が特定のグループに集中していて、支援の届かない人から「不公正(unfair)だ!」という不満を聞いたからです。<br />
<br />
ブシアオフィスのボスなんかは、「全員を支援することなんて不可能なんだから、不満が出るのは仕方がない」と聞く耳を持つ気すらない感じです。私個人の考えでは、確かに、不平等(unequal)なのは仕方がない、というかニーズはそれぞれ違うので、平等である必要はないとさえ思う。だけど、公平性(equity)はやっぱり考えないといけない。と思う。<br />
<br />
<br />
それでまあ研修の後半あたりは、公平性を、どうやったら達成できるんだろうか、てゆうことを考えていたわけです。で、たぶん、究極の公平性を求めるのであれば、ひとつひとつの家庭の既存の経済力と見込みの経済力を、数値化して、その差異を均すように資源を分配すれば良いんですね。しかしまあ、間違いなく途方もない作業です。なぜかって、彼らの有している資本が多種多様で、かつ不安定であるからです。<br />
<br />
<br />
そんなわけで、「どう配るか」という点に焦点を当てて公平性を目指すことはやめました。「どう配るか」ではなく、関係する人たちが「配り方に納得するか」という部分に焦点を当てることにしました。<br />
<br />
なぜなら、公平性というのは、それが担保される状態のことを指しているけど、「どう配るか」という資源の配り方だけを問うているのではなく、その配り方に周囲の人が「納得するか」ということを問う必要があるのだと思うからです。そこでは、関係する人たちの、公正性(fairness)の感覚が大切で、配られる資源が不平等であることを、いかに各人が納得できるか、という点に影響を受けます。<br />
<br />
<br />
たとえば、先ほどのリンゴも、「なんでおじいちゃんだけ、すりおろしリンゴなの!?」と不満を持つ家族がいれば、それは、公平性が担保されたとはいえない。だけど、「おじいちゃんは、硬いものが食べられないから、すりおろす必要があるのね」との共通の合意があれば、公平性が担保されたと考えられる。つまり、資源の配り方は同じであっても、それに関係する周辺の人が「納得するか」どうかによって、公平性が担保されたかどうかも左右されるのだと思います。<br />
<br />
<br />
この「納得するか」という基準は、とても曖昧で、数値化できる性質のものではないし、もちろん完璧を目指すことはできません。これを承知のうえで、この微妙な感覚を大切にしたいと思う。<br />
<br />
<br />
そんなこんなで開発の世界も奥深いですね。<br />
<br />
これ以上書くと長くなりすぎるので、強引にまとめてみました。<br />
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ところで帰国します。もうちょいで空港に向かいます。<br />
<br />
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日本、すでに寒いそうですね。アホみたいな恰好してるので、凍えると思います。<br />
日本に帰ったら、録画している真田丸を一気に見てやります。楽しみです。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-4708892663426974802016-11-17T23:30:00.000+09:002016-11-18T01:13:06.394+09:00くじゃナイロビは、やっぱりスワヒリ語ばっかり飛び交っていますね。英語もずいぶん混ざってるので、聞き取りやすいです。<br />
<br />
ところで、「Kuja」って、ケニア版スワヒリ語で、「来る」という動詞「ja」の命令形なんですが、この響きが私のツボです。<br />
<br />
「く」に「じゃ」って最強だと思います。<br />
<br />
というかスワヒリ語の発音って、なんか妙にかわいいと思う。<br />
なんとなくjの発音が多い気がするんですが、それが広島弁とも近いからか親近感。<br />
<br />
よちよち歩きの子どもを呼ぶときに、「くじゃ、くじゃ」とゆってるのが、本当にかわいい。<br />
学校で男子生徒が意中の女子生徒を「くじゃあ~」って寂しそうに呼んでいるのも、すごいかわいいです。<br />
ちなみに「く」にアクセントを置きます。<br />
<br />
正式な?スワヒリ語では、「来る」の命令形は、「Njoo」なんですが、「ンジョー」って全然かわいくない。<br />
<br />
「ンジョー」を使う人もいますが、こちらでは「くじゃ」の使用頻度が圧倒的に高い気がします。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-77888476133591485442016-11-14T23:51:00.001+09:002016-11-14T23:51:27.856+09:00ナイロビオフィスナイロビオフィスに約3か月弱ぶりに戻ってきました。なんともいえない微妙な緊張感がここにはありますね。というか、ブシアが緊張感なさすぎなのか。<br />
仕事に集中できる環境が整っているというか、みんなが真面目にやっているから影響を受けるのか、私の作業もはかどる感じです。<br />
<br />
何が違うんだろう?と思うんですけど、たぶん小さいことが少しずつ違うんですね。<br />
<br />
たとえば、服装。ナイロビではみんなシャツにジャケット着てるけど、ブシアではシャツかTシャツ。ブシアの方がナイロビより暑いのもあるけど、ジャケットは見たことない。<br />
<br />
たとえば、机の上。ナイロビは、ある程度キレイに片付いている。たぶん拭き掃除をしてくれているスタッフがいる。ブシアでは、ずっと前から置きっぱなしの飲みかけのペットボトルとか食べくずとか投げてあるので、机の上で作業しようと思うと、まず片付けから始める必要がある。<br />
<br />
<br />
ちょうど私がブシアを離れる最後の日に、あるスタッフがオフィスの鍵を紛失したんですが、結果どうしたかってゆうと扉を破壊したんですね。「鍵がなければ扉を壊せばいい」という発想が、ブシアらしいなと思ったわけです。ボスは一応、最初は鍵屋に電話したんですが、すぐに鍵屋を待つのに飽きたみたいで、扉を蹴ったり、モップの柄でドスッと衝撃を与えたりして、強引に破壊しました。そのさまはどことなくシュールで、私はついつい笑ってしまいましたが、彼は真剣でした。なかなか壊れない扉を何度も蹴りつけ、真剣に破壊していました。<br />
<br />
<br />
こうやってナイロビと比較してるとブシアの悪口に聞こえるかもしれないですが、ブシアにはブシアのペースがって、それはそれで面白いなと思います。んでナイロビでも、熱心に机に向かってるなと思ったら、爪にマニキュア塗ってたりするし、びしっとしてるようでしてないこともあるわけで。<br />
<br />
<br />
ところで、私と入れ違いでブシアオフィスに新しい研修生がやってきます。彼とは昨日、ナイロビでお会いしました。彼のブログがこちらですhttp://banapple78.blogspot.co.ke/。ブシアオフィスでの格闘の日々を彼なりの視点で更新しくれると思います。楽しみです。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-41693520852780709132016-11-12T23:30:00.000+09:002016-11-13T01:11:43.624+09:00カラッとした空ブシアの良いところは朝方のカラっとした空だと思う。<br />
昼を過ぎれば暑くてそれどころじゃないけど、朝は良い。<br />
あと、夜も良い。星がすごい。<br />
<br />
建物も山も低いので、空が広すぎて首が痛い。<br />
<br />
<br />
そんなブシアを離れてナイロビに戻ってきました。<br />
ナイロビは人が多いですね、やっぱり。<br />
<br />
ブシアからキスムまでバスに乗っていたんですが、アジア系の女の子を発見しました。なんと韓国の高校生らしく。「学校がつまらないから」ケニアに来たみたいです。1か月ボランティアしてたらしいですが、ネットで調べて1人で来たみたいで、たくましいなと思いました。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-41159444728236551602016-11-08T23:47:00.000+09:002016-11-08T23:47:21.128+09:00汚い字キレイな字を書くことは良いことですが、日本でキレイな字に慣れている私は、こっちの人たちの書くアルファベットが解読できないことが多いです。もちろん字なので、それぞれクセがあるし、そのクセに慣れていないだけだと言われればそうなんですが。でも少なくとも私がアルファベットを書くと、こちらの人に少なからず、キレイだね、丁寧だね、と褒められます。<br />
<br />
だけども、私はキレイな字に慣れていて、キレイな字を書けるがゆえに、こちらの人の字が読めない、というのはかなり不便なことです。<br />
<br />
<br />
話が変わりますが、ブラック企業とか過労死とかの問題は、もちろん企業が明確な加害者だと思うし、その体制を見直す必要があると思います。だけど、今の日本には、自殺に追い込まれるほど働いている人が少なからずいて、その予備軍がまた数十倍いて、つまりはそういった企業がとてもたくさんある。1つや2つの企業の問題であれば、その企業が徹底的に糾弾されて体制改善をすれば解決すると思うんですが、そうではなく、たくさんの企業がブラックになっているのは、そうならざるを得ない要因が他にあるということ。何が言いたいかってゆうと、企業へサービスを求める、私たち消費者の問題でもあると思うわけです。<br />
<br />
日本は、おもてなしの国だとか、マナーが良いとか、礼儀正しいとか、そうゆうところが対外的な美徳となっていると思います。大いに結構で良いことだと思います。<br />
<br />
<br />
今滞在しているゲストハウスのスタッフたちなんて、レストランの机で昼寝してたり、お客さんのまえで商品をつまみ食いしてたりと自由です。夜中まで大音量の音楽で楽しんでいるかと思えば、朝6時くらいから大声でおしゃべりしています。水が出ないよ!湯が出ないよ!とか苦情ゆっても「どんまい、どんまい」て感じで謝罪はありません。平然と「うちの問題ではなく、この地域の問題なのよ」と言い返されます。と、日本で得られうるサービスと比較すると不満だらけなわけです。<br />
<br />
で、私自身は、こういう不便さが、さほど気にならないのですが、その理由を、「日本とケニアは違うから」で片づけているだけでは不十分かなと思います。それでは問題の外部に解決策を見つけているだけだからです。そうではなくて、私自身のうちに起こる他者への寛容度の変化を大切にしたいなと思います。<br />
<br />
<br />
そうゆうわけで、字の話に戻りますが、自分の字がキレイだからといって、他人の字を汚いと馬鹿にしたり、他人の字が読めなくなったりしているようでは、せっかくのキレイな字も美徳ではなくなってしまうように思うのです。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-57531189936553613112016-11-06T23:30:00.000+09:002016-11-07T02:09:19.094+09:00宗教こちらでは頻繁に宗教の話題が出てきます。何を信じているの?と聞かれたとき、「う~ん、得に何も」と返すと、その後面倒なことになるので、「仏教だよ!」と答えていました。それで納得してもらえればいいんですが、「仏教だと、世界はどんなふうに作られたと考えるの?」とか、「仏教だと、何を崇拝するの?」とか突っ込まれると、もう止まらない。仏教には、一神教のような「神」はいないのよ、なんて言ってしまうと、ええ!ゴッドを信じないと救われないわよ!て感じで、どんどん話が長くなっていきます。<br />
<br />
<br />
宗教の必要性は感じます。特に人の死に直面するときなど、決まり事のある儀式?が生きていくうえで非常に重要だと思います。それでも私の場合、あくまで客観的というか、宗教に伴う機能的な部分に必要性を感じているだけであって、何かを主観的に「崇拝するworship」というのは、よく分からない。<br />
<br />
こないだの日曜日、ADEOスタッフと一緒に行ったペンテコステ派の教会で、何人かの教徒が祈りに入り込みすぎて、横転したり泣き叫んだりする様子を目の当たりにしました。正直ちょっと怖いなと思いました。他方で、今日行った別のペンテコステ派の教会では、熱心に祈っている女の子の姿を見て、率直に、美しいな、と感じました。なんだか神聖なものを見た気分でした。<br />
<br />
<br />
宗教とか信仰というのは、世界はなぜできたのか?人間は死んだらどうなるのか?なんで私にばかりこんなに不幸が襲ってくるのか?というような、答えのない果てしない疑問に対し、解釈を付与する行為だと思います。<br />
<br />
で、やっぱり宗教の面白いところは、その解釈の共有が、数億単位の人数の間で、文化圏や言語圏を遥かに超えて起こっているところ。解釈に限らず、聖歌や祈りの言葉なんかも共有していて、それってすごいなと単純に思います。<br />
<br />
日本は宗教と独特の関わり方をしていますが、キリスト教やイスラム教などの考え方が現代世界の大部分を作ってきたわけで、ややこしくても、これらを理解する姿勢は重要かなと思います。ので、少しずつですが勉強中です。<br />
<br />Unknownnoreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-74242920333613115812016-11-03T23:30:00.000+09:002016-11-04T00:24:07.203+09:00スワヒリ語の不思議スワヒリ語では、時間をいうとき、なぜか6時間ズレです。<br />
<br />
たとえば、昼13時に、<br />
英語で、「今何時?」と聞くと、「午後1時」あるいは「13時」と返すんですが、<br />
スワヒリ語で、「今何時?」と聞くと、「7時」と返すんですね。<br />
時計の針は同じように昼13時なら「1」を指しているのに、スワヒリ語で数字をいうときは「7」というんです。ちなみに、ルイヤ人(私の滞在地域に多い民族)の母語であるルイヤ語でも、同様に6ズレらしいです。<br />
<br />
これが私にはやたらとややこしくて未だに慣れない。一応、1~10までのスワヒリ語は覚えているんですが、パッと出るわけじゃないので、しばらく考えなきゃいけないし、そのあとで、6の足し算しなきゃいけいない。<br />
だけど、こっちの人は慣れているのかとにかく瞬時に使い分けてます。<br />
<br />
日本とケニアの時差も6時間なので、<br />
時差を聞かれたときに、「英語とスワヒリ語のギャップと同じだよ」というと、ちょっとウケが良い気がします。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-83187272092041694922016-11-01T23:30:00.000+09:002016-11-02T02:02:49.111+09:00焼き芋私は焼き芋が好きです。<br />
去年の今頃は、研究室で修士論文書いてるのか焼き芋作ってるのか分からないぐらい焼き芋を食べていました。同期や指導教員までサツマイモを購入してくださる始末で、ロッカーにはサツマイモがストックされていました。私が好きなのは、ちょっとチンしました、とかゆうのじゃなくて、じっくりオーブンで焼いて、「ねちょおっ」てなった焼き芋です。味付けをせずに素材だけで美味しさを競うコンテストがあるならば、焼き芋は首位独走だと思います。<br />
<br />
ケニアでもサツマイモは結構あるんですが、私が見た限り、塩茹でして食べるのが主流です。まあ普通に美味しいんですが、やっぱりサツマイモは「ねちょおっ」てしてこそ本領を発揮するんですよ。<br />
<br />
基本的に料理では炭火を使っているので、これはもしや焼き芋が作れるのではないか?と思い立ち、街まで行ってアルミホイルを購入し、ついに挑戦してみました!<br />
<br />
やっぱり、芋の種類が違うのか(日本でもサツマイモの種類によって結構出来上がりに差がでます)、思った以上には「ねちょおっ」とならず、「ほくうっ」てゆう感じでした。まあでも美味しかったです!!こちらの人にも評判が良かったので、これ、売れるんじゃないかな?とか思ったんですが、どうでしょうかね?<br />
<br />
<br />
というのも、マーケットとかウロウロして思うのは、失礼ながら「みんなワンパターンなんだよな」ということです。たとえば菓子的なものを売っている人は至るところにいて、私がよく買い食いしているチップス(≒フライドポテト)のほかに、サモサ(≒揚げ餃子)、マンダージ(≒ドーナッツ)、焼きメイズ(≒焼きトウモロコシ)などありますが、結局どれもこれも同じ!なんですよね。<br />
<br />
<br />
驚くのは、同じものを同じ値段で、しかも隣で売ってる、とかも珍しくないことです。特に野菜とか果物ですね。ずら~と並んで皆でバナナを売ってたりします。おいおい、誰からバナナを買えば良いんだ?という気分になる。てゆうか、なんで同じものを売る人が隣に来るのを許すのかも謎です。「もし私がバナナ売りだったら、自分の隣に他のバナナ売りを座らせないよ」と友人に話すとなぜか爆笑されました。彼曰く、「価格競争するんだから良いことだよ」とのこと。まあ消費者の立場からはそうかもしれないですが、売る側からしたらどうなの?と納得がいかない。もしかして協同で仕入たり売り上げを分けっこしたりしてるのかもしれないですが。<br />
<br />
<br />
儲けを出すために、必要なコストを削減する(というかチョロまかす)工夫がされているのは分かります。だけど付加価値をつけて差別化するとか、新しいものを売ってみるとかも大事ではないでしょうか。リスクに賭ける余裕がないと言ってしまえばそれで終わりですが、リスクを取らないと新しい世界は開けないのです。まあ端的にいえば、焼き芋売りが現れたら、私は毎日買いに行きますよ、ってことです。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-40477753878870656342016-10-30T23:30:00.000+09:002016-10-31T01:03:50.306+09:00昨日の続きなんてゆうか、ケニアには肉体労働の過酷さがあって、日本には心理的な生きづらさがある、とかそんな比較をしたいわけではないんです。<br />
<br />
もはや、あらゆる事柄を国と国で比較することには限界があると思います。ケニアでも日本でも、その困難の質は違えど、一定程度の人たちが、周辺環境による理不尽や苦渋を強いられている。<br />
<br />
上手い例えを読んだことがあります。「みんながお腹をすかせていた中で育った子どもと、一人だけ給食が食べられない子ども。どちらがより貧困の影響を受けるであろう。答えは、それほどシンプルではない」(阿部 2011: 66頁)。<br />
<br />
同じ指標で測ってどっちが楽でどっちが困難か、などと簡単に割り切れる問題ではない。<br />
<br />
そういったことを伝えたいんですが、自分の中でもまとまってない考えを、外国語で伝えるには、語彙力と表現力が不足していて難しいです。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-10190877205677436182016-10-29T23:30:00.000+09:002016-10-30T02:47:20.507+09:00日本人は楽しているか?私の住む西部地域は、土地が豊かといわれるゆえんでもありますが、よく雨が降ります。現在は小雨季にあたるので、ちょこちょこ夕方から夜にかけて雨が降ります。多くの家庭では、雨が降った翌日は水分を含んだ畑を耕す仕事が待っています。<br />
<br />
ケニアの生徒たちと話していると、畑仕事は、水汲み、掃除、料理、家畜の世話など数ある家事のなかでも最も人気がなく、「長期休暇は畑仕事あるからつらい」と言わせるほどです。日雇い労働の定番でもありますが、ハードなわりに1日100Ksh(約100円)くらいしか稼げません。<br />
<br />
<br />
この畑仕事のことで、少し口論になりました。相手のケニア人曰く、「日本での生活は楽だろうけど、ケニアでの生活は大変だ」とのこと。「日本では機械がやってくれるんでしょ?」とのことでした。まあ確かに生活の利便性はあるわけですね、日本には。だけど、「日本人はケニア人より楽に生きている」という意見には賛同しかねたわけです。日本だっていろいろあるよ、と主張したのです。すると、「あんた雨季に来てシャンバ(畑のこと)を耕してみなよ、昼ご飯も食べずに一日中。そうゆうことができるか?」て返されました。「日本ではごはんをどうやって作るんだ?たきぎを集めに行くか?」と追及されました。<br />
<br />
<br />
確かに私は甘っちょろいと思います。ちょっと筋トレしただけでバテますしね。<br />
<br />
<br />
こっちの学校で生徒と握手すると、「ミクの手は滑らかだね、畑仕事してないでしょ?」と言い当てられます。畑仕事をちゃんとしてる人の手のひらは、手まめがあって硬い。<br />
<br />
<br />
でもだからといって日本人を「苦労していない」とくくられるのはすごく違うとも思う。<br />
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<br />
それでも私には説得力も何もなくて、彼らの生活を前に言葉を返せなかったです。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-13363100977109283772016-10-27T23:30:00.000+09:002018-05-30T21:09:23.438+09:00結婚<div class="MsoNormal">
少々、更新をサボりました。わりと最近は忙しくしております。</div>
<br />
先日偶然にも、友人(同世代の女の子)が、実家で婚約者を紹介する、というシーンに出くわしました。<br />
<br />
友人が「彼が私の婚約者よ」と皆の前で紹介するときに、私は驚いて「え!婚約者!!わ~おめでとう!!」と反応したんですが、すぐ横に座っていたお母さんが私の腕をつねってきました。「まだ認めてない!!」という目線を送ってきます。お母さんは普段とても愛想が良いのですが、急に無口になるし、しゃべるときも声すごい小さいし、とにかく婚約者に対しぶっきらぼうでした。<br />
<br />
その後、友人やお母さん、その他の家族が、チャイの準備などで散らばって、リビングに私と婚約者だけ残されたんですが、彼がこっそり「これは人生の大きなチャレンジだ」とつぶやいたのは面白かったです。<br />
<br />
ひとしきりこの彼と結婚について他愛のない会話をしていたんですが、私が「博士課程の学生だ」というと「わお!教育を受けすぎだよ。結婚できなくなるよ」と言われました。余計なお世話ですね。<br />
<br />
<br />
ところで関係ないですが、なんで日本は夫婦別姓を許可しないんですかね。職種にもよるとは思いますが、ある程度の年齢になれば、男性も女性も就職して名前で実績を重ねているわけで、苗字の変更にかかる苦労はすごいと思います。<br />
<br />
<br />
ところでADEOスタッフから、来年6月に結婚式するから是非来て、と言われました。是非行きたいですね。<br />
<br />
<br />
そんなわけで、まとまりのない更新でしたが結婚についてのお話でした。<br />
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<br /></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-42911072670458137312016-10-22T23:57:00.001+09:002016-10-22T23:57:55.401+09:00延期に延期を重ねるミーティングそういえば研修のことをあまり書いていませんでしたが、プロポーザルについて進めています。<br />
ムソマという村の村民たちvsADEOスタッフvs私、で日々意見の擦り合わせに苦心しています。意見の対立は良いんです。私だけが納得のいくプロポーザルを作ったって仕方がないから、衝突を繰り返し何度も話し合って、ムソマ側もADEO側も全員が納得することが重要です。ただ問題はミーティングに集まるかどうかのところ。時間を守らないのは日常茶飯事なので気にしないですが、ミーティングに来ない、というのは大きなチャレンジです。<br />
<br />
9月20日頃から、ボスが直接ムソマ側と話さなくては進まない事項が発覚し、その週末にムソマに一緒に行こう、と言ってくれたはずが、延期に延期を重ね、1か月が経過してしまいました。なんで延期してしまうか?というエピソードのひとつをご紹介します。<br />
<br />
例えば、先週の10月13日(木)12時からムソマでミーティング、ということで前日には合意していたんですが、ボスが出発の直前に「あとで行くから先に行っといて」と言い出しました。ええ、嫌な予感はしました。とりあえず先に行きました。<br />
11時半にムソマ代表者の家に行き、お昼ご飯をご馳走になったりしていたら12時半を過ぎてしまいました(まあ、この程度の遅れは誰も気にしません)。ミーティング場所に遅れていくも、あれ?誰もいない。もともとミーティングには83人(!)+私とボスが参加予定です。しかし、その週ムソマ周辺で5人の死者が出たことで葬式が立て込んでいるとのこと。とはいっても、少なすぎでしょう?そして案の定、ボスは来なかった。月曜に延期しよう、ということになりました。ボスとも電話で連絡を取り、10時開始で合意しました。<br />
<br />
10月17日(月)、朝8時半にボスから電話。「今から病院行くからオフィス行くの遅くなる」とのこと。「あれ、今日ムソマだけど来れる?」と聞くと、「え?そうだっけ?何時から?」ととぼけるので、「10時から!」と返すと「あ~後で連絡する」といわれる。その後、私からムソマ代表者に電話し、「今日10時からだよね?OK?」と確認するも「あ、それ水曜に延期しようってことになったのよ~水曜でよろしく!」とのこと。延期したなら連絡しなさいよ。ボスに再び電話して「水曜が良いんだって、水曜どう?」と聞くと、「水曜は別の会議がある」とのことだったので、再びムソマに電話して「水曜はボス予定あるって!」と伝える。<br />
<br />
<br />
そんなこんなで橋渡し役がいかに大変かというのが分かってもらえるでしょうか?なんでみなさん勝手に予定をコロコロ変えてしまうんでしょうね? こんなドタバタが重なって、結局、ボスと一緒にムソマに行けれていないのです。<br />
<br />
集まれば議論は白熱するし、確実に前進するのが分かるんですが、集まるまでが大変です。<br />
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ブログでは愚痴っぽくなっていますが、実は最近驚くほど楽しいです。<br />
あかん、楽しい。と心の中でつぶやいています。<br />
うまくいかないことばっかりなのに、なぜか良い気分です。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-50938783301750427272016-10-21T23:57:00.001+09:002016-10-21T23:57:38.214+09:00ピキピキのちんちょんちーんピキピキの兄ちゃんたちは一応ケニアで公共交通機関のひとつになっていて、停留所みたいなところで固まって客を待っています。で、その前を通ると必ずちょっかいをかけられます。「チャイニーズ!ちんちょーん!」とかそんな感じです。ものっすごい鬱陶しいので冷酷な視線を向けるか、完璧に無視を貫いていたんですが、そんなのを繰り返してると何も言われなくなってきました。<br />
<br />
勝手なもんですが、それはそれでちょっと寂しい気分になったので、私のほうから「ハバリゼニ?(=みんな調子どう?)」と挨拶してみました。そうすると「ンズリ!(=良いよ!)」と返ってきます。普通に挨拶するもんですね。今度から「ちんちょんちーん」と叫ばれたら、無視するんじゃなくて「セマハバリ!(=挨拶して!)」と言おうと思います。<br />
<br />
面倒だからといって問題を未解決のまま放っとくのではなく、好転するよう働きかけるのは大切ですね。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-17373943299530902572016-10-20T23:30:00.002+09:002016-10-20T23:30:24.340+09:00英雄の日今日は、「英雄の日(Siku ya Mashujaa)」という祝日でした。<br />
ケニアの独立に積極的に貢献した6人の英雄を称える記念の日です。<br />
<br />
<br />
ケニアを舞台にした映画は、いくつか見たことがありますが、独立の闘士マウマウが登場する良作は、『おじいさんと草原の小学校』だと思います。ケニアでは、2003年に初等教育無償化政策が改めて実施されたことを契機に、就学率がぐぐっと上がるんですが、そのとき、強い意志を持って入学を求めてきた人のうちに84歳のおじいちゃんがいました。彼は「最も高齢の小学生」として2004年のギネス世界記録にも登録されています。といいつつ、確かな生年は不明で、本人の記憶によるものらしいです。ギネスのわりに適当ですね。映画は、この実話に基づいて作成されています。どこまで実話なのかは知らないですが、ケニア独立のために多くの犠牲を伴ってイギリス植民地政府と戦った主人公の過去と、そのイギリスの言語である英語を学ぶために学校に来ている現在が、うまく対比されています。アンチ学校派の私でも、学校教育の良い側面を上手に描いたな、と思わされました。<br />
<br />
<br />
ところで脱線しますが、アフリカの映画でズシっときたものの暫定ナンバーワンは、『ルワンダの涙』でした。ルワンダといえば『ホテル・ルワンダ』が有名ですね。あれは確かに心に突き刺さる名作だと思いますが、ゆってしまえば偉人の為した偉業を描いているんですよね。それに対し、『ルワンダの涙』で描かれているのは、理想と現実の間で苦しむ凡人の姿です。「人を助ける」って簡単なもんではない。というか無理ですね。自分を犠牲にしてでも他人を助けるなんて行為は、普通はできないです。邦題で損してる節はありますが、原名は“Shooting Dogs”です。なんで「犬を撃つこと」なの?と思いますが、映画を見たら納得します。とか思い返していると、もっかい見たくなりました。帰国したら誰か一緒に見ませんか?<br />
<br />
<br />
映画は良いですね。映画に限らず、小説とか漫画とか論文とか、推敲に推敲を重ねて成しえた作品に触れるのは好きです。<br />
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と、ただの映画回顧録になりましがたが、今日は祝日だったので良しとします。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-17634004586475847782016-10-18T23:30:00.000+09:002016-10-19T01:32:58.937+09:00カバは嫌!胃袋がどんどん大きくなっているのを感じます。<br />
<br />
毎日一食はウガリを食べるんですが、最初のころは出されたウガリの半分も食べれば良い方だったのに、最近は、8割くらい食べれてしまいます。朝ごはんのチャパティも、最初のころは後半わりとしんどかったんですが、最近はいつの間にかペロッと食べ終わってしまっています。このあいだは米食べたい!と思って、マーケットまで歩いて行ってピラウ(米料理の定番)を注文したんですが、出てきたピラウの量をみて「うお!多いぜ!」と思ったわりに、気が付いたら完食していました。そのうえ帰り道で売っているチップス(フライドポテトみたいなもん)を買い食いしました。おそろしい食欲です。せめて歩いて消費しようと思って歩いているのに、途中で買い食いしていたら意味ないですね。このままだとデブになります。ちなみにスワヒリ語の「カバ(kiboko)」には「太った人」ってゆう意味があるらしいです。<br />
<br />
今日、満面の笑顔で「太ったね!!」と言われました。こちらでは必ずしも「太った」は悪いことではないので、とりたてた含意はなく、「髪の毛のびたね!」と同じ感覚で、単に事実に言及しているだけです。<br />
<br />
そんなこんなで、太ったのではないかという自覚はあったので、先週くらいから地道に筋トレを始めていました。といっても外で筋トレするのも恥ずかしいので、なんとなく動こう!というキャンペーンをひっそりと部屋のなかでやってます。1日5分しただけで筋肉痛になるもんですね。運動不足を痛感します。<br />
<br />
今日は「太った」と言われたショックもあって、有酸素運動(という名の足踏みジョギング)を取り入れながら10分間の運動を試みたんですが、めちゃくちゃバテました。酸欠?っぽい感じで頭痛くなって、1時間くらい横になっていました。ひとりで動き回って頭痛くなるとかアホですね。しかも10分の運動で。情けないです。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-59844568354590595772016-10-15T19:41:00.002+09:002016-10-15T19:41:21.446+09:00続・ハランベー私が昨日参加したハランベーは学費を集めることが目的でした。ハランベーを受ける主人公ともなる男性は私と同世代(誕生日が3日違い!)です。彼は聡明で、初めて話したときから「この人は違うな」と思わせる何かを持っていました。それでも、どうしようもなく理不尽な困難が何度も彼の人生に降りかかっています。<br />
<br />
ハランベーに参加していたのはホストとゲストを合わせて30人ほどでした。参加していた人曰く、「とても少ない」人数のようです。ハランベーでは、どれだけ情報を拡散できるか、どれだけ人脈を持っているかが結構重要です。<br />
<br />
まず、ホスト側から数人の挨拶があって、それから本題のお金集めに入ります。一人ひとりがいくら出したかが全員に分かるように共有します。ここでの最高額は10,000Ksh(約1万円)でした。ちなみにこの額を拠出したのはホスト側の代表です。ホストもゲストも、それぞれ出せる金額を拠出しますが、200Kshが多かったような印象です。もちろん20Kshとかコインだけの人もいるし、お金は出せないから、と家で取れた野菜や卵を持ってきている人もいました。代理で預かっているお金も、金額と提供者を全員に共有しながら進みます。人によっては、M-PESAというケニアで発達している電子マネーでホストのケータイにお金を送っていました。これらもちゃんと全員の前で共有されます。<br />
<br />
さて、ここまでは人びとの準備した金額。ここからが勝負どころです。いかにゲストから絞りだすか、というのをホスト側があの手この手で頑張ります。ホスト側がこれ見よがしに自己犠牲しながら大金を拠出し、「みんなもうちょっと頑張って!!」と押し売りしてきます。私も体よく使われて、「50Ksh払ったら、この日本人と握手できるよ!」と前に立たされ、お金を集めるのを手伝いました。他にも、先ほどの野菜や卵を使って、オークションをします。高い値段を出せない人も、「あの人に10Ksh付け足すわ!」というふうに参加することができます。もちろん相場の数倍も高い値段になりますが、売り上げは全てハランベーです。ここでも私が体よく使われて、「日本にケニアの卵を送ろう!」みたいな感じで盛り上がり、数人でお金を出し合って卵を買ってもらいました。要は、いかに楽しくお金を出すか、てゆうのが工夫されているのです。<br />
<br />
<br />
そんなこんなで最終的なハランベーの合計額は40,000Kshでした。金額がピッタリなのは、これまた最後の最後に39,000いくらかだったのを、「もうひといき!!付け足せる人!!」という掛け声のもと増やしたからです。この金額も、参加者にいわせれば「すごく少ない」みたいです。実際、ゲストではなくホストの人たちが大金を出していた印象だし、ハランベー終了後にはソーダと軽食のサービスもありました。なので、純粋な利益っていくらなんだろう?と考えると、すごく小さい金額のような気がします。<br />
<br />
<br />
それでもハランベーは、お金を集めること以外にもいろんな意味が込められているような印象を受けました。と同時に、一人ひとりの人間関係の量と質が問われているようで、なんだかシビアな世界だなと思いました。ケニアでは、必ずしも学校に行かなくたって生きるための学びの機会は至るところにあるし、人間関係だって学校外で育まれているものも多いと思います。だけど、やはり教育レベルと収入は相関関係にあり、収入の多い友人をいくら持てるか、という意味で学校教育は大きな影響力を持ってしまっていると思う。学校教育は、それを受けた者に何かを与えるというよりも、それを受けなかった者から何かを奪うのではないかと、思わざるを得ないのです。<br />
<br />
そしてやっぱりスワヒリ語を真面目に勉強したいなと痛感させられました。彼らが冗談を言って笑いあっているポイントについていけないのは歯がゆいです。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-13222376328152860772016-10-14T23:30:00.000+09:002016-10-14T23:30:02.825+09:00ハランベー今日はムソマでハランベーに参加してきました。<br />
<br />
「ハランベー」というスワヒリ語は、英訳・邦訳が難しいのですが、ケニアにおいて重要な意味を持っています。独立後の初代大統領ジョモ・ケニヤッタ氏はハランベーを国民統合と国家建設のためのスローガンとして掲げたほどです。<br />
<br />
一般に個人レベルで「ハランベー」をやるときは、まとまったお金を集めたいときです。例えば私の知ってる例では、手術代、学費、交通費、などがありました。ある家庭でハランベーをやると決めたら、家族や親族がそれぞれ「ハランベー招待状」なるものを自身の知人や友人にたくさん配ります。基本的には、「ハランベー招待状」をもらったら、(代理を立ててでも)開催当日に開催場所に行く必要があります。どれだけの金額を拠出するかは自由ですが、たとえわずかでも、そのときその人が貢献できる額を出すべきとされています。そしてそれらは全て帳簿に記録されます。<br />
<br />
ハランベーは、「助け合い」とか「自助努力」とか、ケニア社会に息づく「美徳」として語られることも多いですが、人によっては、汚職とどっこいどっこいだと指摘します。例えば、ハランベーの主催者が、地元の有力者や政府関係者などであった場合、「見返り」を求めてハランベーに参加する人がいます。これを「汚職」と表現するのが適切かは分からないですが、こちらでは、「汚職(corruption)」とか「賄賂(bribe)」は、かなり広い意味で使われてると思います。<br />
<br />
私も詳しく分かっていないですが、ハランベーはリスクヘッジの側面が強いな、とは思います。他人のハランベーに参加するのは、もちろん助け合いの精神もあるとは思いますが、自分が主催するときに誰も来なくなったら困るからです。予測できない将来の緊急事態に備えて、少なくとも現在貢献できる金額があれば、他人に貢献しておくのです。<br />
<br />
こちらのママが以前ハランベーについて指摘したのは、「ハランベー集団の階層化」です。従来のハランベーには、経済力の異なる多様な人が参加し、それぞれに出せる金額を拠出していた。しかし、近年では、例えば貧乏な人の主催するハランベーにお金持ちが来なくなった、とのことです。まあ、「どうせこの人、私がハランベーに招待してもちょっとしか出してくれないだろうな」と思った金持ちが、より見返りが期待できる他の金持ちのハランベーに参加する、というのは冷たいけど合理的です。「金持ち」といえども、相対的なものであって、それなりに大変だからです。ただ、このように、貧しい人は貧しい人で助け合い、豊かな人は豊かな人で助け合う、という助け合いの階層化が進むと、農村に息づいていたはずの「より多くを持つ者が、より多く出す」という公平性を創出するメカニズムが機能しなくなり、結果として階層間の差、すなわち格差が拡大するのでは、と感じます。(専門的なことは分からないので、あくまで印象)<br />
<br />
そうなってくると、政府主導の公的な福祉政策の整備が進まないと立ち行かなくなりますね。<br />
<br />
<br />
と、前置きが長くなりましたので、今日のハランベーの内容は明日更新することにします。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-42336936827749612052016-10-12T23:30:00.000+09:002016-10-12T23:30:24.059+09:00大物のように振る舞うな<div>
今日、あるスタッフがボスに放った一言です。</div>
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今日はボスが何かと、このスタッフに対し「あれやれ」「これやれ」と横柄に指示していたんですが、我慢の限界だったようで、ついにスタッフがボスの指示を無視。それに対し、ボスは「おい、なにやってるんだ今」と声をかける。スタッフは、「へ~い、仕事やってんだよ!」と返し、続けて、「大物のように振る舞うな」の一撃。</div>
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いや、素晴らしいなと思います。</div>
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なかなか日本では考えられないような気がしますね。嫌な顔をするとか迷惑なことをアピールするぐらいはできるかもしれないけど、ボス自身の態度に対し喝を入れることは難しいと思います。</div>
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きちんと主張できる下の者と、それを受け入れる準備のある上の者がいてこそ、これが成り立つのですね。</div>
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こうゆう土壌があることは、とても大切だと思います。</div>
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例えば、日本の研究者の世界で考えてみると、学会なんかに行くと建前上は教員も学生も関係なくて、オフィシャルには「○○さん」とか「○○先生」という呼び分けはせずに、みんな「○○会員」って呼ばれます。「小川会員の発表に質問のある会員は挙手してください」とかそんな感じです。だけどまあ、実際のところは、発表者および質問者が、それぞれ学生なのか教授なのかで言い方や雰囲気は大きく変わりますけどね。</div>
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私はまだまだペーペーですが、それでも研究室のなかでは先輩側に回ってきているので、これまで先輩方にバシバシ言われてきた以上には、後輩にバシバシ言われません。だけどやっぱりバシバシ言い合う関係は大切だと思います。</div>
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なので、今日のADEOスタッフのやりとりをみて、すごいなと思います。改めて。</div>
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日本で簡単にできる多くのことがケニアではすごく難しいんですが、それと同様に、日本ではなかなか難しいことがケニアではすごく簡単だったりします。</div>
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Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-12803780791613520202016-10-10T23:30:00.000+09:002016-10-11T03:50:57.556+09:00ラッキーデー今日は幸運でした。<br />
<br />
朝、なんとなくスタッフに誘われて、あるミーティングに出席。テーマは、避妊について10代の女の子にどう伝えるか。実態として10代の女子は既にsexual active stageであること、妊娠による中途退学が非常に多いこと、HIV/AIDSの近年の新たな感染者は15~24歳の若者に集中していること、などの問題がある。<br />
ケニアに10歳の母親がいるということで、もし10歳の娘が「避妊具が欲しい」と言ったら親としてどう対応するか?という議論がされていた。妊娠や性感染症を防ぐために避妊具の使用を徹底させることの重要性と、この年齢の女子に性行為を許して良いのか、という葛藤。<br />
10歳は極端な例だけど、例えば、中等学校でも男女交際が名目上は禁止されているので、学校で避妊に関するレクチャーがタブーになってるとこもある。とくに避妊を推奨しないカトリックの学校では。だけど、ひとりひとりの命にかかわることだから、実態に対しきちんとアプローチすることも重要。<br />
議論自体、面白かったし、そのうえ、昼食代として1,000Kshくれた。このへんのレストランだとどう奮発しても300Kshぐらいにしかなんないけど、金欠だったので思わぬ臨時収入に心躍る。<br />
<br />
<br />
そして今日は、滞在しているゲストハウスのオーナーの60歳の誕生日らしく、夕方からパーティー。ADEOスタッフも一緒に来て、ビール、ソーダ、チキンが無料!やっぱりケニアで食べるチキンは最高。米も3週間ぶりぐらいに食べた。やっぱり米ってうまい。ウガリも普段のよりキメ細かく上質で美味しかった。ADEOスタッフやその友人など、いろんな人と話をして、くだらないことや下品な話題が多いんだけど、やっぱり楽しい。<br />
<br />
<br />
<br />
私には、ケニア大好き!!とかゆう純粋で美しい感情は無いんだけど、なんだかんだ好き、という気持ちが細々と糸を紡いでいる感じ。ここの人たち、好きだなあ、と改めて思った一日でした。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-9836705143966482322016-10-07T23:30:00.000+09:002016-10-08T02:33:18.584+09:00ムズング「ムズング」というスワヒリ語の本来の意味は、「西洋人」。<br />
でも「西洋人」に限らず、私のような、いわゆる「黒人ではない人」は「ムズング」と呼ばれる。<br />
<br />
ピキピキの兄ちゃんたちの「チャイニーズ!!!ちんちょんちーん!」というシャウトは本当に鬱陶しいので、ああゆうのは論外ですが、「ムズング」は中途半端に微妙な気持ちなる。<br />
<br />
「ムズング」にどんな意味が込められているのか、考えてみる。日本語でも「外国人」と「ガイジン」では、ニュアンスが違うと思うけど、「ムズング」は「ガイジン」に近いのではないかと思う。正確な意味合いは知らないけど、私個人は、「ムズング」とよばれると「よそ者」とよばれているみたいで、確かによそ者に間違いないけども、少しばかり落ち込む。<br />
<br />
いつもと違う時間に歩いていると、いろんな人にジロジロとみられる。あれ、なんで私ジロジロ見られてるんだろう、あ、そうか私ムズングなんだ!と思い出す。というのも私にとっては、まわりにケニア人ばっかりいる状況に慣れつつあるから、非日常にいるという感覚がなくなってくる。それでも、知り合い以外のケニアの人たちにとって、私はあくまで「誰やこのムズング」という存在。私自身がどれだけこの地域に親しみを感じるようになっても、永遠にムズングなんだなと思って、へこんだ。まあそれでも、個人的に知り合って、よくしてくださる方が少しずつですが確実に増えていて、それはそれで嬉しいことです。救われます。<br />
<br />
この恩返しを、日本に来る「ムズング」にしたいなと思います。<br />
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<br /></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-2030895870320942912016-10-05T23:30:00.000+09:002016-10-06T13:44:53.686+09:00リバーシブルこのあいだ、結核プロジェクトのデータをファイルに整理するという作業を手伝ったんですが、今日ボスに「雑にやったな?次はもっと丁寧にしろよ」とゆわれたので心外でした。確かに私もあまりちゃんと考えずにファイル閉じをしたので雑だったかもしれませんが、日ごろからオフィスの机には書類が散らばっているし、ゴミも投げたままだし、引き出しの中はごちゃっとしてるし、という状況です。<br />
<br />
こんなふうに、おいおい自分のこと棚にあげてるじゃないかって思わされるこことはよくあって、<br />
たとえば遅刻とか典型なんだけど、<br />
<br />
朝7時に出発する、てなってた日に、<br />
<br />
私:7時にオフィスに行く<br />
スタッフA:8時過ぎに来る。自身の遅刻には一切触れず、まだ来ていないボスを責める。出発が遅れたら困る、と焦りはじめ、わざわざボスの家まで迎えに行く。ボスが家にいなかったので再びオフィスで待つ。<br />
ボス:9時半頃に来る。自身の遅刻には一切触れない。<br />
スタッフAとボス:チャイ飲みに行こう(=朝ごはん食べよう)と言い出す<br />
私:飲み食いの速度が基本的に遅い。スタッフAに早く出発しないと帰りが遅くなるから急げ、と責められる。<br />
結果:10時過ぎに出発<br />
<br />
そもそも私は朝ごはんも食べてから集合してるのです。<br />
連絡なしで数時間待たされた後、お腹減ってないのに、もっかいチャイとチャパティ飲んで食べなきゃいけないし、しかも急がされるしで、なんか私だけ損した気分でした。<br />
<br />
私はもともと気が長いですが、ケニアに来るたびに気が長くなってる気がします。<br />
<br />
ともあれ、こっちで感じる人々の寛容さと大雑把さは表裏一体で、私もつられて寛容にも大雑把にもなっています。だけど、他人に対し寛容になることと、自分に対し寛容になることは、やっぱり違うのです。私の価値観を相手に押し付けるのは間違っているけど、それと同様に相手の価値観で自分まで甘やかしては駄目ですね。<br />
<br />Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-38150646661412830442016-10-03T23:30:00.001+09:002016-10-04T02:26:42.506+09:00豚はなんでデブなのか最近は家畜について勉強しています。<br />
こちらで主に飼育されているのは、牛、鶏、豚、ヤギ、ヒツジです。基本的には食用(家庭で消費するか売るか)ですが、食べる以外にもいろいろあります。例えば、畑仕事に役立つ種類の牛がいれば、ミルクが得られる種類の牛やヤギがいる。鶏からは卵が得られるけど、種類によって値段が違う。とにかく、ひとくちに家畜といっても、意外と種類がたくさんあるし、飼育の難易度、飼育に必要なコスト、得られうる利益、栄養価など、それぞれにメリットとデメリットがあって奥深いのです。なので、いろんな人に話を聞いて勉強しています。<br />
<br />
そんななか思ったんですが、なんで太った人を悪く言うときに、「豚」が登場するんですかね。豚って他の動物と比べて取り立ててデブというわけでもないと思う。でも豚を観察していて分かりました。やつらは食い意地を張っています。豚はなんでも食べます。たとえば、牛のための干し草がありますが、それを牛のところにあげると、たったったーーー!と豚がやってきて、横から食べあさります。しばらくして今度は鶏のところにメイズとミレットという餌をあげると、またまた、たったったーーー!と豚がやってきます。しかも!豚は、いつまでも食べ続ける。鶏や牛が食べるのをやめても、ひたすら食べ続けます。そのうえ、口を地面から決して離さず、休む間もなく黙々とハイスピードで食べ続けるのです。そんな豚をながめながら、このような食い意地を張っている姿から、太った人の悪口に「豚」が使用されるのだな、と思いました。あと、年を取った豚はビビるくらいデカいですね。あれはデブだな、と思います。<br />
<br />
やっぱり豚をみると、千と千尋の神隠しを思い出します。というか、なぜかケニアにいる間、ジブリ映画の様々なシーンが頭をよぎります。「我が名はアシタカ!東の果てよりこの地へ来た。」とかリフレインします、なぞです。ちなみに魔女の宅急便の「落ち込むこともあるけれど、私このまちが好きです」というフレーズは本当に素晴らしいと思います。私は、そんな気持ちでここにいると思います。<br />
<br />
<br />
脱線しました。<br />
こんなふうに、普段は家畜に目もくれなかったですが、意外と観察すると面白く、謎もたくさんあります。<br />
<br />
たとえば鶏は、ひよこ時代には「ピーピーピヨピヨ」と驚くほど高いトーンで鳴いていますが、あれがどうしていつのまにか「ゴゲッゴッゴーーーーー!」「ゴッゴッゲーーーー!!」と野太い声になってしまうのか謎です。あと、なんで歩くときに、あんなに首を前後に動かす必要があるんでしょうか。<br />
<br />
ヤギは、ご存知のとおり「メエエエエエエエエエエエ!」と鳴きますが、「エ」の一つ一つに抑揚があります。そのうえ、鳴いている間は、なぜか一点を凝視しています。目が合うと、鳴いてる間中、見つめられることになります。ちょっと怖いです。<br />
<br />
<br />
こないだ勇気を出して、鶏を絞める一部始終を見学したんですが、やっぱり、つらいものがあります。それでも、料理にしてしまうとチキンは最高においしいです。<br />
<br />
<br />
最近やっぱり日本食が恋しくなってきました。とんこつラーメン食べたい!!もうウガリには飽きました。今日もウガリ、明日もウガリ、明後日もウガリ。ウガリにうんざりです。<br />
<br />Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-28019953138546152742016-09-30T23:30:00.000+09:002016-10-01T01:48:59.430+09:00うまくいくのも問題である疲れる、て人間の基本なんじゃないかと思う。身体とか頭が疲れた日ほど、精神的には健常な気がする。<br />
<br />
今日は疲れた。<br />
<br />
ケニアに来て1か月と少しが経った。ここ数日感じていた微妙な倦怠感について考えたいと思う。<br />
<br />
今回のケニア渡航はいつもと何が違うんだろうか。<br />
<br />
ADEOという組織にいて、自分が「何者か」というのがハッキリしている気がする。何してるの?と聞かれると、「ADEOでインターンしている」と返す。すると、ある程度の人がそれだけで納得する。過去にも日本人が研修生として来ているから、ADEOもADEO周辺組織も、「若い日本人」がそこにいることに慣れてくれている。そこには、ある種の安心感がある。<br />
<br />
これまでは、学校やその周辺の農村でウロチョロしている謎の外国人、だったと思う。当時は、何してるの?と聞かれたら、フィールドスタディだ、と曖昧に返していた。フィールドスタディってなんだ?(私も知らない笑)と怪訝な顔をされる。最初に怪訝な顔をされるのには慣れている。一生懸命説明して、少しずつ私の存在を理解してもらう。一人で全部やらなきゃいけない状況は、それなりに大変で、毎日それなりに疲れていた。<br />
<br />
だけど、「うまくいかない!」って思ってるときは、実はすごく前向きなんじゃないかと思う。うまくいかない!て分かってる時点で、自省してるし、どうしたら解決できるか考えようとしてる。<br />
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でも、最近の私のように、なんとなくのんびりやってたら、「うまくいかない!」と焦ることもなければ、解決に向けてがむしゃらに奮闘することもない。ここでの人間関係も私が培ったというよりは、これまでの日本人研修生が培ってきたものの上に乗っかってるだけで、私自身が何をしたのか感じにくい。ADEOという組織のなかにいることに安住して、結果として、微妙な倦怠感に包まれることになる。<br />
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そういうわけで、何がどう変わるわけでもないけど、ここ最近の自分のもやもやの原因が分かったので、今日は進歩の日とします。<br />
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Unknownnoreply@blogger.com3tag:blogger.com,1999:blog-3767232174430571790.post-73915198742067310622016-09-28T23:30:00.000+09:002016-09-29T01:07:48.965+09:00今日は愚痴です12月1日は、World AIDS Dayらしく、ケニアでは47県全てで、それぞれ催し物があるみたいです。ブシア県もその準備に取りかかっていて、ADEOブシアからはボスが秘書として活動に関わっています。<br />
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今日はボスについていって、3回目のミーティングを見学させてもらいました。12月開催なのに、9月末に3回目って結構大掛かりなイベントなのかなと思います。<br />
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全体で1時間くらいのミーティングだったんですが、うち20分くらいが「どうやったら皆がミーティングに来るか」に費やされていました(笑)。出席率が悪いのです。解決策として、ありがちですがチャイかソーダを出す、てことで合意していました。なんかそういう問題なのか?と思いました。チャイやソーダみたいなご褒美で釣るとかではなくて、責任感の問題ですよね。てか20円、30円くらいのチャイやソーダぐらいで来るんなら、はじめから来いよ、と思います。小学生ならまだしも、いっぱしの給料と所得のある人たちです。<br />
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そして私が気になったのは電話です。結構いつも気になってることなんですが、電話のマナーがよろしくないです。あくまで私目線ですが。でも、会話中、食事中、仕事中、公共交通機関で移動中、いつでもどこでも電話電話電話。しかも大音量の着信。ケータイのマナーモード機能を使っている人がいたら教えてほしいくらいです。<br />
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ミーティング中も、ちょうど意見を話しているとき、その当人に電話がかかってきて、しかも電話にでるんですよ。「いま会議中だから後でかけなおす」という人はまだしも、そのまま電話でしばらく話し始める人もいます。そうなるとミーティングの議題は進みません。<br />
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のんびりした空気とか寛容さとかはケニアの魅力だと思うんですが、ちゃきっとするところではちゃきっとしてほしいです。<br />
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