2016年11月3日木曜日

スワヒリ語の不思議

スワヒリ語では、時間をいうとき、なぜか6時間ズレです。

たとえば、昼13時に、
英語で、「今何時?」と聞くと、「午後1時」あるいは「13時」と返すんですが、
スワヒリ語で、「今何時?」と聞くと、「7時」と返すんですね。
時計の針は同じように昼13時なら「1」を指しているのに、スワヒリ語で数字をいうときは「7」というんです。ちなみに、ルイヤ人(私の滞在地域に多い民族)の母語であるルイヤ語でも、同様に6ズレらしいです。

これが私にはやたらとややこしくて未だに慣れない。一応、1~10までのスワヒリ語は覚えているんですが、パッと出るわけじゃないので、しばらく考えなきゃいけないし、そのあとで、6の足し算しなきゃいけいない。
だけど、こっちの人は慣れているのかとにかく瞬時に使い分けてます。

日本とケニアの時差も6時間なので、
時差を聞かれたときに、「英語とスワヒリ語のギャップと同じだよ」というと、ちょっとウケが良い気がします。

2016年11月1日火曜日

焼き芋

私は焼き芋が好きです。
去年の今頃は、研究室で修士論文書いてるのか焼き芋作ってるのか分からないぐらい焼き芋を食べていました。同期や指導教員までサツマイモを購入してくださる始末で、ロッカーにはサツマイモがストックされていました。私が好きなのは、ちょっとチンしました、とかゆうのじゃなくて、じっくりオーブンで焼いて、「ねちょおっ」てなった焼き芋です。味付けをせずに素材だけで美味しさを競うコンテストがあるならば、焼き芋は首位独走だと思います。

ケニアでもサツマイモは結構あるんですが、私が見た限り、塩茹でして食べるのが主流です。まあ普通に美味しいんですが、やっぱりサツマイモは「ねちょおっ」てしてこそ本領を発揮するんですよ。

基本的に料理では炭火を使っているので、これはもしや焼き芋が作れるのではないか?と思い立ち、街まで行ってアルミホイルを購入し、ついに挑戦してみました!

やっぱり、芋の種類が違うのか(日本でもサツマイモの種類によって結構出来上がりに差がでます)、思った以上には「ねちょおっ」とならず、「ほくうっ」てゆう感じでした。まあでも美味しかったです!!こちらの人にも評判が良かったので、これ、売れるんじゃないかな?とか思ったんですが、どうでしょうかね?


というのも、マーケットとかウロウロして思うのは、失礼ながら「みんなワンパターンなんだよな」ということです。たとえば菓子的なものを売っている人は至るところにいて、私がよく買い食いしているチップス(≒フライドポテト)のほかに、サモサ(≒揚げ餃子)、マンダージ(≒ドーナッツ)、焼きメイズ(≒焼きトウモロコシ)などありますが、結局どれもこれも同じ!なんですよね。


驚くのは、同じものを同じ値段で、しかも隣で売ってる、とかも珍しくないことです。特に野菜とか果物ですね。ずら~と並んで皆でバナナを売ってたりします。おいおい、誰からバナナを買えば良いんだ?という気分になる。てゆうか、なんで同じものを売る人が隣に来るのを許すのかも謎です。「もし私がバナナ売りだったら、自分の隣に他のバナナ売りを座らせないよ」と友人に話すとなぜか爆笑されました。彼曰く、「価格競争するんだから良いことだよ」とのこと。まあ消費者の立場からはそうかもしれないですが、売る側からしたらどうなの?と納得がいかない。もしかして協同で仕入たり売り上げを分けっこしたりしてるのかもしれないですが。


儲けを出すために、必要なコストを削減する(というかチョロまかす)工夫がされているのは分かります。だけど付加価値をつけて差別化するとか、新しいものを売ってみるとかも大事ではないでしょうか。リスクに賭ける余裕がないと言ってしまえばそれで終わりですが、リスクを取らないと新しい世界は開けないのです。まあ端的にいえば、焼き芋売りが現れたら、私は毎日買いに行きますよ、ってことです。

2016年10月30日日曜日

昨日の続き

なんてゆうか、ケニアには肉体労働の過酷さがあって、日本には心理的な生きづらさがある、とかそんな比較をしたいわけではないんです。

もはや、あらゆる事柄を国と国で比較することには限界があると思います。ケニアでも日本でも、その困難の質は違えど、一定程度の人たちが、周辺環境による理不尽や苦渋を強いられている。

上手い例えを読んだことがあります。「みんながお腹をすかせていた中で育った子どもと、一人だけ給食が食べられない子ども。どちらがより貧困の影響を受けるであろう。答えは、それほどシンプルではない」(阿部 2011: 66頁)。

同じ指標で測ってどっちが楽でどっちが困難か、などと簡単に割り切れる問題ではない。

そういったことを伝えたいんですが、自分の中でもまとまってない考えを、外国語で伝えるには、語彙力と表現力が不足していて難しいです。

2016年10月29日土曜日

日本人は楽しているか?

私の住む西部地域は、土地が豊かといわれるゆえんでもありますが、よく雨が降ります。現在は小雨季にあたるので、ちょこちょこ夕方から夜にかけて雨が降ります。多くの家庭では、雨が降った翌日は水分を含んだ畑を耕す仕事が待っています。

ケニアの生徒たちと話していると、畑仕事は、水汲み、掃除、料理、家畜の世話など数ある家事のなかでも最も人気がなく、「長期休暇は畑仕事あるからつらい」と言わせるほどです。日雇い労働の定番でもありますが、ハードなわりに1日100Ksh(約100円)くらいしか稼げません。


この畑仕事のことで、少し口論になりました。相手のケニア人曰く、「日本での生活は楽だろうけど、ケニアでの生活は大変だ」とのこと。「日本では機械がやってくれるんでしょ?」とのことでした。まあ確かに生活の利便性はあるわけですね、日本には。だけど、「日本人はケニア人より楽に生きている」という意見には賛同しかねたわけです。日本だっていろいろあるよ、と主張したのです。すると、「あんた雨季に来てシャンバ(畑のこと)を耕してみなよ、昼ご飯も食べずに一日中。そうゆうことができるか?」て返されました。「日本ではごはんをどうやって作るんだ?たきぎを集めに行くか?」と追及されました。


確かに私は甘っちょろいと思います。ちょっと筋トレしただけでバテますしね。


こっちの学校で生徒と握手すると、「ミクの手は滑らかだね、畑仕事してないでしょ?」と言い当てられます。畑仕事をちゃんとしてる人の手のひらは、手まめがあって硬い。


でもだからといって日本人を「苦労していない」とくくられるのはすごく違うとも思う。


それでも私には説得力も何もなくて、彼らの生活を前に言葉を返せなかったです。

2016年10月27日木曜日

結婚

少々、更新をサボりました。わりと最近は忙しくしております。

先日偶然にも、友人(同世代の女の子)が、実家で婚約者を紹介する、というシーンに出くわしました。

友人が「彼が私の婚約者よ」と皆の前で紹介するときに、私は驚いて「え!婚約者!!わ~おめでとう!!」と反応したんですが、すぐ横に座っていたお母さんが私の腕をつねってきました。「まだ認めてない!!」という目線を送ってきます。お母さんは普段とても愛想が良いのですが、急に無口になるし、しゃべるときも声すごい小さいし、とにかく婚約者に対しぶっきらぼうでした。

その後、友人やお母さん、その他の家族が、チャイの準備などで散らばって、リビングに私と婚約者だけ残されたんですが、彼がこっそり「これは人生の大きなチャレンジだ」とつぶやいたのは面白かったです。

ひとしきりこの彼と結婚について他愛のない会話をしていたんですが、私が「博士課程の学生だ」というと「わお!教育を受けすぎだよ。結婚できなくなるよ」と言われました。余計なお世話ですね。


ところで関係ないですが、なんで日本は夫婦別姓を許可しないんですかね。職種にもよるとは思いますが、ある程度の年齢になれば、男性も女性も就職して名前で実績を重ねているわけで、苗字の変更にかかる苦労はすごいと思います。


ところでADEOスタッフから、来年6月に結婚式するから是非来て、と言われました。是非行きたいですね。


そんなわけで、まとまりのない更新でしたが結婚についてのお話でした。

2016年10月22日土曜日

延期に延期を重ねるミーティング

そういえば研修のことをあまり書いていませんでしたが、プロポーザルについて進めています。
ムソマという村の村民たちvsADEOスタッフvs私、で日々意見の擦り合わせに苦心しています。意見の対立は良いんです。私だけが納得のいくプロポーザルを作ったって仕方がないから、衝突を繰り返し何度も話し合って、ムソマ側もADEO側も全員が納得することが重要です。ただ問題はミーティングに集まるかどうかのところ。時間を守らないのは日常茶飯事なので気にしないですが、ミーティングに来ない、というのは大きなチャレンジです。

9月20日頃から、ボスが直接ムソマ側と話さなくては進まない事項が発覚し、その週末にムソマに一緒に行こう、と言ってくれたはずが、延期に延期を重ね、1か月が経過してしまいました。なんで延期してしまうか?というエピソードのひとつをご紹介します。

例えば、先週の10月13日(木)12時からムソマでミーティング、ということで前日には合意していたんですが、ボスが出発の直前に「あとで行くから先に行っといて」と言い出しました。ええ、嫌な予感はしました。とりあえず先に行きました。
11時半にムソマ代表者の家に行き、お昼ご飯をご馳走になったりしていたら12時半を過ぎてしまいました(まあ、この程度の遅れは誰も気にしません)。ミーティング場所に遅れていくも、あれ?誰もいない。もともとミーティングには83人(!)+私とボスが参加予定です。しかし、その週ムソマ周辺で5人の死者が出たことで葬式が立て込んでいるとのこと。とはいっても、少なすぎでしょう?そして案の定、ボスは来なかった。月曜に延期しよう、ということになりました。ボスとも電話で連絡を取り、10時開始で合意しました。

10月17日(月)、朝8時半にボスから電話。「今から病院行くからオフィス行くの遅くなる」とのこと。「あれ、今日ムソマだけど来れる?」と聞くと、「え?そうだっけ?何時から?」ととぼけるので、「10時から!」と返すと「あ~後で連絡する」といわれる。その後、私からムソマ代表者に電話し、「今日10時からだよね?OK?」と確認するも「あ、それ水曜に延期しようってことになったのよ~水曜でよろしく!」とのこと。延期したなら連絡しなさいよ。ボスに再び電話して「水曜が良いんだって、水曜どう?」と聞くと、「水曜は別の会議がある」とのことだったので、再びムソマに電話して「水曜はボス予定あるって!」と伝える。


そんなこんなで橋渡し役がいかに大変かというのが分かってもらえるでしょうか?なんでみなさん勝手に予定をコロコロ変えてしまうんでしょうね? こんなドタバタが重なって、結局、ボスと一緒にムソマに行けれていないのです。

集まれば議論は白熱するし、確実に前進するのが分かるんですが、集まるまでが大変です。



ブログでは愚痴っぽくなっていますが、実は最近驚くほど楽しいです。
あかん、楽しい。と心の中でつぶやいています。
うまくいかないことばっかりなのに、なぜか良い気分です。

2016年10月21日金曜日

ピキピキのちんちょんちーん

ピキピキの兄ちゃんたちは一応ケニアで公共交通機関のひとつになっていて、停留所みたいなところで固まって客を待っています。で、その前を通ると必ずちょっかいをかけられます。「チャイニーズ!ちんちょーん!」とかそんな感じです。ものっすごい鬱陶しいので冷酷な視線を向けるか、完璧に無視を貫いていたんですが、そんなのを繰り返してると何も言われなくなってきました。

勝手なもんですが、それはそれでちょっと寂しい気分になったので、私のほうから「ハバリゼニ?(=みんな調子どう?)」と挨拶してみました。そうすると「ンズリ!(=良いよ!)」と返ってきます。普通に挨拶するもんですね。今度から「ちんちょんちーん」と叫ばれたら、無視するんじゃなくて「セマハバリ!(=挨拶して!)」と言おうと思います。

面倒だからといって問題を未解決のまま放っとくのではなく、好転するよう働きかけるのは大切ですね。